2016_4_22

あなたの一番好きな庭はなんですか?

 

庭の話をしようと思う。例えば、京都と奈良の日本式庭園には傑作が多い。曼殊院はよかった。竜安寺の石庭には唸ったし、圓通寺の庭のパースペクティブは目を見張るものがある。西洋式の庭園は守備範囲外だが、こちらも素晴らしいものがあるのだろう。さて、たくさんある庭の中で、自分の一番を決めるためには評価軸がいる。庭を構成する要素のなかで、どこに重きを置くのかはっきりさせないと決めようがないというものだ。同じ土俵を探さねば話が進まない。

 

庭を主題にした写真集は多く、切り取られた画角にはカメラマンの重きが出る。有名所の桂離宮、本のタイトルがそうである、を見れば個人の価値観を超えて万人に訴えかける「良さ」が庭から引き出されていることがわかる。ぼくの撮った桂離宮の写真にはディテールが多かった。つまり庭のどこに着目するかは自由であり、一般人から専門家まで感じ方は人それぞれ、多様な価値を引き出せる深さをもった構造物が庭というものだ。

 

そうしてどんな価値も内包し、その姿かたちは変幻自在な構造物なのだろう、ソリッドで禁欲的な石と苔だけの空間も、恐ろしく多種類の草花が広がる空間も等しく庭だ。天皇がつくらせた広大な面積の御所と町屋の坪庭が抱える小宇宙も等しく庭と言える。借景に雲がかる山々を取り込み、垣根でフレーミングして、焦点が合うのは一本の小さな松のさらに先、手元の茶碗だったりする。ここでは地球から指先までのすべてのスケールが庭に飲み込まれており、はたして評価軸は無限遠の彼方まで伸びきってしまい、この話は発散してしまう。

 

文章を収束させるべく指すべき一点を探す。手掛かりはある。この日記が語りでなく、写真でなくて図面でもない文字情報であること。「庭」という文字からはじめれば、ここでは建築の話が文学へと詩へとシフトする。

 

 

ぼくは、「君の銀の庭」が一番好きだ。

君の銀の庭とは、劇場版魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語エンディングテーマである。

概要

Kalafina14枚シングル曲。カップリング曲は同映画の挿入歌「misterioso」。

Magia」や「ひかりふる」とは打って変わって、ワルツ調の軽やかな曲調。
しかし、その軽やかさと相反するように、どこか切なさを感じる歌詞。その点においても「Magia」と対照的である。
kalafinaは曲について「ひとりの少女妄想世界」とっている。また、ファンの間では、劇場版の視聴前後で受ける印ガラリと変わる曲と言われている。

 

―表題ともなった「君」とはなのか、「の庭」とは一体何なのか―

 

 

「庭」には機能がない。もしあるとすれば、立ち入り眺めて触れた、もしくは読んだ人の精神に何かを想起させること。まるで美術品のように。ぼくはそう思う。ここでは、受け取るイメージの豊かさを評価点とし、ぼくの一番を君の銀の庭とした。

 

いや、語感の良さがずば抜けていいと思うんです、これ。当時からすきな言葉なんだよなあ。曲自体も本当にいい!これを読んだ人は今すぐyoutubeででも聞いてほしい。つか映画本編と合わせて見て聞きましょう。あのオチの絶望感のなか軽やかなワルツが流れるのは本当に稀有な体験です。すげーよなあまどマギ。本質的なアニメです。うーん。歌詞も含めてこのタイトルがなんで美しいのか、日本語としてどう構成されたフレーズなのかを語学の勉強としてやってみようと思って始めた話だけど、つづきは明日の朝。

 

実体がなくても、文字でさえ庭になりえる。目撃した人の頭になにかを想起させる「庭」。この一文字が庭よりも庭の本質だ。そんなオチにしたい。

 

2016_4_18

昨日も、今日も晴れ。夏日観測の陽気、らしい。ラジオとツイッターの情報。

 

18日、この日は朝と昼に夜も雑な食事だった気がする。「うまいものを食おう」と言われお金を借りつつ、近場で焼肉屋のランチにありつく。そんな感じ。野菜が足りてない食生活が続くと、恐ろしい結果を招きそうな気がして気が気じゃない。

 

ビタミン不足は現代では考えられないような病気にかかるリスクを増すわけで、いつか罹る気がしてる。でも陽気な妄想として考える。例えば壊血病にかかる自分を想像するとおもしろい。周りがびびるだろうから。この発想がすでに、雑な生活と雑な精神って感じだ。

 

病院にて「中世の船乗りの病気ですよ、どんな生活をしていたんですか」と医者がびびり、「はあ、ジャンクフードを食べていました、雑な肉とか」と応えたい。そんな元気はないかもしれないけど、お前等と同じもん食ってたよとは、動かない体の目で訴えられる文面ではない。黙って目で笑うくらいならできそうだ。

 

元気ですよという意思表示ではなくて、びびるでしょこの症例、という意味を目元から医者には是非察してほしい。

 

親がびびって段ボール箱一杯のオレンジとレモンを送ってくる。中世の船乗りの家庭では一般的に子が遠洋に向かうときにありったけの柑橘類でビタミン類を送るのが、通例だった。ぼくはこれから始まる大航海の予感にときめきながらその箱を開ける。

 

箱に添えられた手紙には「あきれ果てました」との一文があり、ははあこれからは食生活を改め親孝行をせねばなと、思いを新たに脇へ置いたら、レモンをひとつ手のひらに忍ばせて東京の街に繰り出す。今までの親不孝を振り返りつつ、ああ、つまりはこの重さなんだなと腑に落ちたり、将来の不安に急に落ち込んだり、口元に運んだレモンの香りと頬にあたる冷たい感触に少し気が晴れたりしながら、気付くと足は丸善の前まで来ていた。檸檬

 

話しついでになるが、病気や怪我になると昔から笑うくせがついていて、これはあまり得をしない。ことを今思い出した。

 

誰かに見せるために笑うのではなく、なんだか勝手に一人で笑ってしまうのだ。医者や家族の前だろうと他人に囲まれた状態でも構わない習性で、中々治らない頑固なくせの部類に入る。怪我をして瞬間わけがわからずに戸惑い、一瞬の間を置いて自分の怪我に気づく、すると思わず笑ってしまう。また、病気の名前を宣告された場合には、驚きの表情を見せた次に、先ず笑い声をあげる。医者が訝しい顔をし、付き添いの母は顔をしかめる。あんまりいい顔をされないので、神妙な顔をつくろうとすれば、余計に吹き出してしまう。

 

人目を気にしてる場合じゃないくらいにやばいケガや結構めんどくさい病気が発覚した瞬間に多いことから、この笑いの意味や役割を、ぼく自身はきっとこうだと思っている。役に立つための機能であるなら、つまりなにがしかの防衛反応だと。

 

不可逆な悪化を、本能的には笑ってごまかそうとしているんじゃないかと思える。無いものにしようとしている。ギャグですよこれは、と自分に言い聞かせてこころを守るための機能として笑顔があるのでは、と思い、どうにも本能の考えることはよくわからず、そんな悲しい笑いが過去には役に立ったのか、獲得しなくてもよかった機能なのに、と先祖を恨みたくなった。少なくとも、笑っちゃった場合のケガや病気が笑ってごまかせたことはないので、後で本気で悔やむことになっている。そうして反省からやらなくなった行為も多い。二度と跳び箱で前回りはしない、とか小学生のぼくは腕を吊りながら本気で思っていた。今でも、跳び箱を見ると少し笑ってしまう。

 

 

 

 

 

2016_4_12

はじめに3Dプリンタがあった。3Dプリンタは物体であり、物体は3Dプリンタであった。物体はまず立体なのだからありそうなことだ。

 

大学を出た年の四月十二日に、ぼくは市ヶ谷駅において、見送りの場で、教授に言われた。「お前はとりあえず、現状ある3Dプリンタの試みに関して、玉石混合の中から、ありうる話を調査し、その細部をひとつひとつ並べかえて、ある設定を得なさい」。3Dプリンタに関して、小説で使えそうな話題を、お前は、WIREDによって見いださなければならない。

 

すなわちお前が調査すべき3Dプリンタの話題は、WIREDの記事一覧をざっと見た限り、次の通りである。
ハード面に関しては、建築、製剤、食品、医療、芸術、宇宙開発、銃器製造、服飾、インクとなる素材。
ソフト面に関しては、流通問題、普及率、メーカー、3DCADデータの公開、オープンソース化、タグ付けによるモノの履歴、3Dスキャナとの併用。
場所に関しては、工場、現場、商店、卓上、オフィス、家庭、極限空間で、これは使用者を決める要因にもなりうるし、ソフト面の設定を固めてから足並みを揃えないとボロが出やすいあたりになる。

 

今考えてる大枠を伝え忘れたから言っておくが、使用者の一生をかけて延々と出力し続けるマシンについてである。一生分の人生には、誰であれ本になりうる物語がある、みたいな話があるが、これは文字でなく、人生の書物化ならぬ人生の造型化になる。人一人の一生を追いかけながらインタラクティブに入出力を繰り返す仕事というのは、ちょっと正気ではないだろう。死後にログをまとめて短い期間で出力する。ということではなく、リアルタイムで造型物を更新していく作業をここでは目指している。まさに奴隷の仕事であり、かかる時間と献身性を鑑みれば、機械でなければならない必然性がその辺りに仕込めるだろう。この大枠はまだわたしの思いつきだが、とりあえずある骨への肉付けから始めるのがいいだろう。さらに時間が余った場合、WIRED以外のメディアにも手を伸ばしてほしい。記事にならなくとも建築家や芸術家には3Dプリンタの前衛作家も多いだろうし、芸大なんかの展覧会の目録を参照してほしい。キーワード検索で漁れば出てくるだろう。枝葉が見つかれば、あとは本人のホームページを追うこと。人のアイデアとかぶらないように、特に造形作家の細かい情報は仕入れておきたい。そしてこれは海外の事例が主になるだろうが、物によっては、実際に物を作成できる3DCADデータのデータベースもあるだろう。お前に持たせたwifiルータでも、その程度の大きさのデータならダウンロードすることが可能なはずだ。データを展開するソフトウェア、つまりライノセラスなんだが、これは自分で入手してほしい。本当は就職するまでに手に入れておきたかったが、これまでスケッチアップで十分こなせてしまったお前が悪いのだから諦めてくれ。

 

これが3年前の出来事であり、ぼくは今、金沢にいる。

旅行中である。

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晴れ、のような気がするけど。雨だったか?たしか風が強く吹いていた。風が桜を煽って忙しなかった感じだ。はい浮かれるのはここまで!はい祭りは終わり!はいはい帰って仕事しなさい!と風曰く。

 

花が散りきる前に、今年は花見ができた、先週末に。したという事実がこの場合大切で、花見をした事実はつらいときに思い出すと効いてくる。ああ、確かに人間らしいことしてたなあと。

 

平凡すぎるのでは?桜の話題を選んだのはよくない。3マス戻る。

 

しばらくツイッターで十分だったからこちらの更新が疎かになっていたのは反省点、毎日書く?いやそんなルールはありませんでした。もっと気軽に。インターネットを軽薄にやりましょう。

 

ぼくの狭いTL界隈でも、やおら話題になってた本を買ってみた。サピエンス全史。おもしろいですね。ツイッターでの流行り概念にある虚無とか虚構とか、○○はFAKEなんかと近い言葉が書かれてます。ネットのスラングが紙媒体に載ってる違和感を感じられるのもいい。そういえば村上春樹の新作の副題も、どことなくツイッターぽさがありますね。

 

そういえば認知言語学の新書もあったのを今思い出した。あれはあと少しだ。サピエンス全史と近いところがあって並行して読むのにちょうどいいと思う。

 

これもまたなにかと、○○はフィクションだ、と断じている本なのだ。認知も人がつくる虚構には違いなく、言葉は慣習の上にあるという筋が書かれていて、それは犬の鳴き声はワンなのかwow-wowなのか、それとも?みたいな類い。つまり、思考に先立つ言葉はないらしい。

 

そもそも言葉は存在してはいない。先ず世界には現象のみがあって、その劣化データとして文字が出力される。出力している。なんとか日記として集合し、読まれることで情報はまた劣化する。現象のデータ容量が重すぎるからと、五感と思考に入念な抽象化を脳が施しているのが、ありのままの世界を認知したりここで伝えたりできない原因で、これはもうそういう造りのいきものらしいと割りきっている。文字でしか思考できず、文字でしか表現ができないのだ。さて、それが人かはわからず、あるいはAIかもしれないし、自我があるものは抽象化を自然にやってのける。でも虚構でしかないのはいづれも変わらない。

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枕元の常設展示品にイリヤ・ブリコジン著の混沌からの秩序がある。古本屋で買ってからこの3年くらいは美術品のように丁重に扱ってきた。たまにパラパラとめくっては所定の位置に本を戻すといった感じで、よしよしと撫でては埃をはらう。疲れた夜なんかに眺めると、よく眠れたりする。陽を受ける卓上のそれを少し離れたところから眺めるのもいい。

 

 

3年だから付き合いは長い。面白い図が多いので、設計のダイアグラムに使おうと似たような図をイラレで書いて添えたことも学生の時にあった。

 

内容を理解していない本の図が使えるのかというと、割とある。別分野に波及する時の大きな力を秘めている。誤読して、自分の文脈に紐づけて、援用するまでの過程を通してから、さてこれは何の図ですかと本文を読み始める。そこまではしてない気もするけど、要するに使われている用語の定義さえ外さなければおおよそは大丈夫で、著者の反論先の肩を持たなければ、その図を味方として使う道理がある、はず。ダメな学生丸出しだったなあ。

 

援用してよいものかは、やはり始めは外面が9割ということになり、本文が理解できるまでは図aから図zまでがその判断基準になる。よい論文はよいグラフィックを持つものだ。グラフィックがよければ、本文で言ってることも面白い、はず。

 

うーん。この場合、よいラノベとよい挿し絵の関係に直すと、よさは比例しないな。ラッピングされた絵で釣るのがオタクコンテンツで、我々は面食い。そこに本質があろうがなかろうが。中身とは?顔のいい女の物語が好きなんだからしょうがないよね。やれ装飾過多だ、文脈無きポストモダンだとか、構造と意匠の不一致だなんだと表層主義をとやかく言う権利はオタクにはないのです。

 

 

ちゃんと頭から読み始めることを、この春からの目標にする。ここにメモをとりつつ読破を目指していこう。として今日はおわり。

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合間合間でも気になる本を消化していきたい。難しいけど、なるべく活字に触れる時間をつくること。娯楽ではない娯楽の時間で遊ぶ感覚を身につけること。

 

でも今日は久々にビールを飲んだので、大分おわりになってる。卒業してからは遊び=飲酒で、酔うことが最大の娯楽みたいになってる。他にすることがないのか?いいことなのか悪いことなのか。

 

中公新書から出てる言語学の教室を半分まで読む。全く知らない領域の話だ。文系の友人は一人もいないので、言語学とは何ぞやと気になっても誰にも聞けなかった。何から読んだらいいかも分からず、虐殺器官を読んで言葉の学問の存在を知ってしまってからは悶々とネットの書評を読み漁っていたわけだが、どれも分厚い専門書で中々手が伸びなかった。というか入門書ほどカラー写真豊富で結果高いというのはどうなの。先週末、ついに何となく読めそうな薄さの本を見つけた。ブックオフの新書コーナーで。すごい俗な入り方をしている。でも、中公新書の表紙は学問らしさがあるカッチリしたデザインでよいですね。難しい本を買った気になれる。

 

認知言語学の入門書らしい。認知言語学とは?半分まできて雰囲気は掴めてきた。でも、ぼんやりとした細部の隠れた理解なのでまだ説明はできない。初めて触れる分野だからじっくり効いてくるだろうと楽観して、明日も読み進めたい。

 

たいがいの学問の雰囲気はデザイン学部の教育で説明できると思ってしまう悪癖がある。他分野斜め読みにこそ我々の強みとボロが出るところだ。今思い出してきた新書の内容は、言葉は事象を分類する道具で、この分類の強弱で言語学の学派は分かれていること。そして既存の言語探求に比べて認知言語学は分類の強弱が違う点があり、白か黒かではなくグレーな裾野の意味まで拾って議論してしまう。そうして言外の感情や認知、人間らしい意味を読みとることがその特徴としてあるということ。

 

うーん。人の感情に向かっては、まともに理性的な探求が本来できないはずなんだ、どんな分野であっても。例えば住宅なんかは無意識の領域の建物だ。藤森照信の講演曰く、住宅に関するコトモノの根拠はどうやら無意識下にあって、誰にも説明がつかない部分が多すぎるので西洋では民家は建築学の議論にはのぼらない、あれは文化人類学者の範疇だ。と言っていた。違うかも知れない。

 

そうして、認知言語学が一体どこまで人間の無意識下を掬い上げ、理解できる言葉へと起こしてくれるのかを楽しみにしている。

たぶん実際もっとドライな中身の本だろうけど、なんだかすごそうとは思ってる。

2016_4_1

四月に入ってもなにが変わる訳でない。少しづつ暖かくなってきた気はする。日も随分と長くなった。

 

冬至がついこの前だったのでは?もう春分は過ぎているのか、わからない。こうして些細な変化を怪しんだりできるくらいには、外の具合に対してこれからも敏感でいたい。今年度も日がなパソコンの前にいることになってるはずだ。この暮らしの内にいては四季は努力して探しに行くものかも知れず、これは結構めんどうだ。といって外に出ないと、詩情うんぬんではなく色々と問題があります。

 

日記の枕に影響が出ることがまずある。書き出しに迷うことになるだろう。その日のおおまかな様子を描く情景描写とか、報告に近いやつだ。本来ならそうした書き出しですらすらと話を運びたい。そうして自分から離れた話題で書けた日はよくやったと感じる。あまり暮らしについて書きたくはない。

 

そも世の中にはこれだけ身の上話が溢れているのに、ツイッターのホーム画面からからだいたい3クリックくらいを費やしてまで、他人の生活に触れたいと思うだろうか。自分の世界を固定するので手一杯であって、他人のそれにまで興味がない、みたいなところはないだろうか。話を聞くよりも、話したい人が見にくると思ったほうがよいのだろうか。ここに来た人が気持ちよくその日あったことを思いだし、また別の場所で表現したくなるような、それは人に日記を書かせる日記だ。そうした書き方はまだわからない。それが出来たら、きっと日記ではない気もする。でもブログではある。

 

明日の日記の出だしを考えている。頭の中には現前する手だてを喪った風景が浮かび上がる。パソコン脇の小窓に透かして見えるのは、賑やかな活気の建設現場の、暗い建物の陰影の、ラワン合板の簡素なテーブルの透視図の、散髪して歩く外堀沿いの水辺に、桜の枝垂れに頭をもたげる、立ち上がることのない風景を、小窓の先に重ねて眺めている。四季を探して視線は泳ぎ、代々木上原にあるオフィスの地下一階からはついに辿り着くことはなかった。


夕方から中野へ。友人と会い、焼き肉を食べる。WIREDの記事についてで面白い話ができた。確か、重力とはなにか、みたいな話だった。素朴なことからSFに飛ぶ話は好きだ。重力の正体について次までに勉強しておこうと思う。


季節の変わり目なのでなにも捗らない。今日はこれでおわり。