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2016_3_24

2016/03/25 10:52

昨日の分。やっとこさ東京に帰ってきた。金沢は遠かった。新幹線で二時間半というのは短い内だけど、文化が東京と大きく違う土地に行くと、距離以上にそこが遠く感じる。金沢は関西圏だった。北陸である向こうの地名は越前、越中、越後と続いており、前と後ろは京都に対してかかっているのだろうと思った。

 

文化が西か東かは、訛りが判断材料になる。北陸は本州の真ん中で、東京と京都のどちらに属している国なのか、東北人のぼくにはそのへん未知だったけど、地元の人の訛りがバリバリの関西弁だった。マジかー。関西かよ。少しげんなりした。

 

小さな器から都市計画まで見応えはあった。見たもの。金沢城の石垣、兼六園の松、駅前のダサい門、謎のオブジェ。このオブジェがすごかった。たいがいの地方都市の駅前にある謎のオブジェくんの中でも五本の指に入る良さがあった。無駄がとても微笑ましい。5階建て相当の高さまで1メートル角の鉄が斜め45度で何本も生えていた。誇大妄想感が雰囲気としてあってちょっとソ連ぽい。ロシアアバンギャルドの実作が時間を越えて金沢に完成している。

 

輪島塗に九谷焼と友禅。駅やホテル、あらゆる場所でそれらを見せつけられた。伝統芸能の食傷気味になる。すごいですね、といった感じ。こまいものがすきらしい。

 

街は粒の小さな建物で出来ていて、道幅は不釣り合いに広いという印象。片側二車線がデフォで、二層の木造の連なりが左右に続く。単車線でも幅はめちゃめちゃ広い。の割に建物は路地とセットになるべきサイズだから、そのちぐはぐな感じが、なんだか薄気味わるかった。

 

関西圏だから遠い場所まで来たと感じた、というよりも、このちぐはぐさが異国感の原因だと思う。自分の常識とほんの少しズレがある金沢の風景を見ると、なまじ同じ要素だからか、海外のようにこういうものかと大らかに場所性を受け止められずに、馴染もうにもしこりがある。難しかった。

 

道路や公園、記念碑なんかの都市的なものは大陸的なおおらかさがある一方で、建物や道具といった人間スケールのものは内向に小宇宙をつくる京都的な感じがある。もののスケールで人格が交代しているような、二面性を見せる街だった。つかみきれてない。まあ一回の旅行でわかることなんてたかが知れているし、きっと勘違いばかりだ。

 

今日からは浮つかずに、また日常に戻る。旅先の風景を支点に東京を見る。