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2016_3_26

日本海の潟は中国や朝鮮半島から見ると、海上交通が主だった時代には表玄関の機能を果たした。

 

内海の港が適している大型船の登場によって玄関口の価値は明治頃から太平洋に移っていき、今では新潟港を残すのみである。もっとも、出雲の国のころからヤマト王権を過ぎて明治の始めまでの日本海沿いは貿易で栄えた大都会の帯であるから、前方後円墳と石垣のメガロポリスを有する加賀百万石の一大帝国、であった。しかし地理的条件が明治以降の世では逆に災いして一気に没落。このへんは割愛して、戦後に田中角栄日本列島改造論が登場して、足かけ何十年の末にこうして線路がひかれたわけだ。


wikiで見ると、形態が「上製本」となってる。おや、と思う。日本列島改造論は計画であってその書類形式がヒットしたことを訝しんだけど、これ本として出版されてたのか。知らなかった。ベストセラーじゃん。この売り上げ91万部って数字が、本の売れた古き良き時代って感じで嬉しくなる。うーん、ちゃんと読もう。まず響きがいいことに満足して、深くは調べずにいました。だって、列島改造論。いい響き。

 

1972年の冬、都内の私大に通う建築学部意匠系4年の黒髪ボブカットサブカル女子は、いずれ来る縮小時代の流れに逆らうように、大風呂敷を広げた卒業制作を提出した。模型は併せてたたみ5畳分にもなり、緻密に描き込まれた図面を読んでも、模型を中腰になりながらのぞき込んでみても、計画の全容は知れない。全体模型の縮尺ラベルは20万分の1を示しており、リニアな構造物がのたうちまわっている。50分の1の部分模型は山脈のコンタを縫うように高架が通されたものらしかった。いまだ計画の全容が伺えないので、部分についてもあやふやにしか知らず、ここに細部はない。講評会でのやり取りであるが、質疑応答にて、まず敷地はどこですか?といらつきながら聞いた教授の顔も見ずに、彼女は目を剥きながら「日本列島です。」と応え、続けて持論をまくし立て始めた。山脈を爆破して海を埋め立てるという旨、だったと思う。彼女のスピーチは、教授陣を置いてけぼりにしたまま時間切れを迎え、新潟の祖母が笑える日本をつくるためにわたしは院に進む、という宣言で終わる。