2016_3_28

昼まで調子が出なかった。人生の意味とか考え始めるパターンのおしまいになるのは、きっと昨日の日記をサボったからだ。

 

おしまいにはいくつかあって、昔の失敗を急に思い出してもうだめだになるもの、先のことで心が弱るものや同調圧力、総じて世は虚無という結論に最後至るわけで、今日は絶対に子供は生まないというあたりに落ち着いた。出生は罪です。こうした結論が出てしまえばいくらか楽になるのは、ネガティブだろうと芯さえ通っていれば根なし草ではなくなるからで、自分の意見を軸にした見方ができれば、他人の暮らしを見ても動じないしまあ共存できるという理屈のようだ。先ず自分を尊重する主義、のようなもの。

 

ぼくは自分の心を文学的に表現できないことを悔しく思うが、そうするためには文学的の方の定義を変えるか言葉自体を変えてしまうしかないだろうと考えている。

 

ともかく気持ちを活字にするとすっきりする。少なくとも言葉を探し、趣味の領分で頭を捻っているうちは孤独感も和らぐ。創作には楽しいからやるというよりも、やらないと気持ち悪いという気持ちがそうさせる面が強い。設計だって、楽しいからやってる、とはもう正直言えないし。アイデンティのより処とは言える。ないと困る。この困難の大本としては、だいたい孤独さんがわるい。そこにきちんと暮らしがあれば、誰も創作なんてしないという話もある。森博嗣あたりが言いそう。

 

日記は創作なのか?おそらく。最近読んだ立原道造の長崎紀行は言ってしまえばメンヘラ道中日記だけど、おもしろいですよ。だから、読んで楽しい活字はすべからく文学に吸収されるのではと考えている。知らないけど。では、毎朝の新聞のお悔やみ欄は?出生欄は?死亡統計は?JRの時刻表は?こうしたリストをただ眺めるだけでも喜びを得る人はいたりするだろう。ただ、意味のとれる文脈をそこに見て、意味を読み込むには教養がいるという話で、そうした人名と数字の羅列はハイソでマイナな領域のれっきとした文学と言えるかもしれない。知らんけど。

 

残りは夜書くとして、休憩ばかりもしていられないと思い立ち、スマホを閉じる。