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2016_3_29

なんだか夕方からはふつうに寒かった気がする。

 

攻殻のアンソロジーが欲しくて、夕飯のついでに本屋に行くつもりだったけど、時間がなくて寄らずに戻った。どうせ読む暇がしばらくないなら、ネットで買っても同じ
ことで、待たされることもない。アマゾンで都内に向けてなら翌日に届いてしまう。いやでも、同じかというとそうでもなくて、実店舗での体験はネット販売でのそれとは違うものであり、と言いたくもなる。それは例えば、インクの匂いのなか本棚の隙間に体を押し込みながら大量の本に目移りしつつ書うべき一冊を足で探す肉体的な享楽が実店舗にはあって、まで考えたところで、はてそれはブラウジングとなにが違うのかと思い直す。嗅覚や触覚をオミットすればだが、実際には違いなんて言えないだろう。ドンキの店内で物量から受ける目眩と楽天のホームページを開いてみてバナーの多さにうんざりするのは同じ視覚の作用であり、作用がひきだす結果も、別に欲しくないものまで安売り棚からカゴへと入れてしまう、というところまでそっくりじゃないか。しかしだ、となんの話しをしようとしたか思い直す。本当は、検索空間と商業空間の類似性と発展について勉強しながら書く日記、ではなく自分は本好きというよりも本屋好きかも知れない、あなたはどの本屋が好きですか?ぼくはやはり池袋にある三省堂本店ですねあそこの理系フロアには万華鏡の小さな専門店が付随していてそこの調度がとても...みたいな素朴な話を。

 

現実がSFを追い越して久しい、みたいな話がある。

インターネットと現実との垣根は多くの場所において、すでに崩れていることを自覚しないといけない。実りを得ようと広く細かく耕しすぎたのだ。ファミコンで月に行った時代はすでに遠く、コンピュータ利用は総力戦の様相を呈している。解像度のあがった戦争は徐々に個々の分野へと散らばり、これから戦場は局地戦へと移行していくだろう。あまりにマクロな未来は語りづらくなる。ミクロな視点の方がこれからはお利口かもしれない。

 

確かに、宗教やめて茶碗を回せ。と利休は言った。今ならば、本屋の店の職人製の万華鏡の手触りだけ感じていられたら、きっと幸せだ。ぼくらは垣根のこちら側から、あちら側へと葉書を送る。あちら側は内容に応じたカタチをこねて、こちら側に小包を送り返す。今日は寝る前に3Dプリンタの勉強をしておきたい。