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枕元の常設展示品にイリヤ・ブリコジン著の混沌からの秩序がある。古本屋で買ってからこの3年くらいは美術品のように丁重に扱ってきた。たまにパラパラとめくっては所定の位置に本を戻すといった感じで、よしよしと撫でては埃をはらう。疲れた夜なんかに眺めると、よく眠れたりする。陽を受ける卓上のそれを少し離れたところから眺めるのもいい。

 

 

3年だから付き合いは長い。面白い図が多いので、設計のダイアグラムに使おうと似たような図をイラレで書いて添えたことも学生の時にあった。

 

内容を理解していない本の図が使えるのかというと、割とある。別分野に波及する時の大きな力を秘めている。誤読して、自分の文脈に紐づけて、援用するまでの過程を通してから、さてこれは何の図ですかと本文を読み始める。そこまではしてない気もするけど、要するに使われている用語の定義さえ外さなければおおよそは大丈夫で、著者の反論先の肩を持たなければ、その図を味方として使う道理がある、はず。ダメな学生丸出しだったなあ。

 

援用してよいものかは、やはり始めは外面が9割ということになり、本文が理解できるまでは図aから図zまでがその判断基準になる。よい論文はよいグラフィックを持つものだ。グラフィックがよければ、本文で言ってることも面白い、はず。

 

うーん。この場合、よいラノベとよい挿し絵の関係に直すと、よさは比例しないな。ラッピングされた絵で釣るのがオタクコンテンツで、我々は面食い。そこに本質があろうがなかろうが。中身とは?顔のいい女の物語が好きなんだからしょうがないよね。やれ装飾過多だ、文脈無きポストモダンだとか、構造と意匠の不一致だなんだと表層主義をとやかく言う権利はオタクにはないのです。

 

 

ちゃんと頭から読み始めることを、この春からの目標にする。ここにメモをとりつつ読破を目指していこう。として今日はおわり。