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2016_4_30

1.朝9時に目覚めてすぐに菊芋を千切りにして水に浸す。沖縄土産のバナナケーキを口にする。

2.スーパーへ買い物。リストは豆乳、インスタントコーヒー、キビ砂糖、大葉、ホタルイカ、鰹の酒盗、ボイルされたあさり

3.二度寝

4.昼過ぎに起きてベランダへ。椅子を置いたらキッチンに戻りアイス豆乳ラテをつくって雑誌とiPodに煙草を手に加えてベランダに戻る。

5.とてもよい天気。夕方過ぎまで半屋外で読書

6.日が落ちたらキッチンに戻り夕飯の準備。今日はあさりのバター炒めと菊芋のきんぴら炒めだった。

7.仕事の宿題。相変わらず設計途中の机の細部を詰めたりだらだらとネットを見るなどする

8.ホタルイカでビールを飲む

9.ラインの返事をする。常にマナーモードなのですぐ返事をしないのが多分よくない、明日はバイブ通知にしておくこと

10.日記をつける。さて以上の通りに過剰さのない、平和な休日そのものだったことがわかった。とりあえずのところ、一日の行動が10の箇条書きに収まるボリュームだとのんびりとしていてとてもありがたい。

 

つまり、とても人間的な一日だったと思えるような日は次のように抽象化できる。10の行動パターンを二十四時間内に行うこと。これより多くては時間に忙殺され、少なくては退屈であると。だからこのキリのいい数字を豊かな人間性であると仮定して、そうした理想の暮らしに思いを馳せてみる。このペースなら一月で300の箇条書きになり一年なら109500の箇条書きが生活の実態としてこのブログに記録される。人間五十年ならば5475000の行動パターンの積み重ねが一生の暮らしそのものであると、計算上は言える。これに従えばわたしはあと2518500の行動を律儀に積めば、立派に一人の人間の生涯を遂げることが可能なのだ。合理的に数字で人間らしくあれる、というこれは救いだ。

 

人間の営みを数字に置き換える指針がここにあり、人工的な暮らしの創出へと足を伸ばす。そうして箇条書きで残した生活のログ、その数5475000にもなる人生の断片を元に個人を模したAIの作成が可能になるのも遠くはなく、SNSの発達しきった人類はこの先テキストデータとして振る舞うことを選択するだろう。

 

残念ながらその手はフィクションであり、まず実現しない。この場合には生身の人間にとって厄介な問題が存在する。死後も日記をつけつづけて、幽体どうしでラインを飛ばしたりすることが日常になれば、少なくともネット上では生者か死者かは判断がつかなくなるわけだから。そうしたフィクションの中では、暮らしは肉体と同時に数字でもある。数字で判断してくれ~、まじでコミュ力重視の世界は滅びてほしい!

 

余談

その人とはSNSで知り合った。花が好きらしい彼の日記にコメントをつける内に相互にやりとりをするようになり、わたし達はなにとなく惹かれていった。最近は彼岸花が好きになってきたと書く彼をユニークだと、その時は思っていた。親密になった異性に現実で会いたいと思うのは、今も昔も変わらない道理で、指定された待ち合わせ場所に花束と、これも指定通りに黒いドレスを着て出向いた。彼に一目でわかるように示し会わせたのだ。さて、GPSでは合っているが、ここは墓地の一角であり初デートの場所とは思えず彼はどうにもやってこない。わたしは道を間違えたかと手元の端末を見やる。不意に新着通知が光った、傍らの墓石に繋がれた無線LANのLEDが点滅するのが見える、彼からのメッセが届く。