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2016_5_6

久しく見てなかったのだ。視界いっぱいに緑を収めて南湖の松林を歩くのは半年ぶりであり、一年越しの五月の景色を目の前にして暖かな春への感慨深さが増してくる。

 

ここが生まれ故郷であることを付け足して、家族もそこにいるときても、四季の巡りを五感で体感することの方が関心がやや高いらしい。今こうして湧いてくる懐かしさの対象は新緑のみどり色とその匂いなのだ。場所が代々木公園だとしてもその感慨は変わらずにわたしは五月との再会をこうして喜べる。情景描写だけが続くお話には、どこで誰とはあまり関係がない。現実がそうであればフィクションでもそうであり、絵なんかで顕著だったりする。綺麗な背景にぽつねんと女子高生が立ってるだけの構図は多い。こちらは少ないが、ただの綺麗な背景(ギャザの土地カードのような)のイラストは不思議とリツイートが伸びないのだ。絵画であっても同様に人物ないしはキャッチーな物体が風景には添えられる例は枚挙に暇がない。誰かは問わないが誰かがいないと誰も景色など見ない、ということが豊かな情景に対話可能な記号を添える構図が無限に産み出される真相に思えるが、そうではなく単に一人で四季を感じてふむふむ言うことに無理があって侘しいのだと添えておく。

 

 

うまいものをたらふく食べてご満悦って感じだったなあ自分。一日通して三人ともご機嫌だった。家庭の和を取り持つんだからうまいものは偉い。

 

母親がブラック・サバスにハマっていた。還暦からメタルを始めるとは恐れ入る。大人しく今回は棚からビルエバンスのCDを借りた。

両親とはナショナリズムの台頭とシンギュラリティについて一日話していた気がする。変な家族。政治の話におれは詳しくないから雰囲気でやった。シンギュラリティについては原典であるレイ・カーツワイルの本をもらえて満足。代わりにWIREDを教えてあげたら喜んでたのでよしとする。