防音室のコウテイペンギン

 

 

 

 

 

 

 

防音室のコウテイペンギン

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして、星のようなカタチをしているからスターの名前がついた。というよりも、星のカタチそのものだからスターの名をつけざるを得なかった、というのが名の由来に関する有力な説で、これはわたしの二番目に好きな説なんだ。ここではどうにもことの順序が逆転しているとこが面白い。

 

 きみもそう思うといい。

 

 例えるなら、一番目に産まれたから太郎。二番目だから二郎の名前を親から与えられる慣習の中で逆転した順序が起きれば、太郎だから一番目に生まれ、二郎そのものが生まれればそいつはたしかに二番目であり、八番目にようやく生まれた三郎はそれでも三男にするほかないという具合で、名とコトの本質が引き剥がされたような感がここにはある。

 

 欠片たちは鈍い鉱物の色合いも不正形な輪郭もとることなく、幾何学で構成された美しい星の記号と瓜二つの外形に輝きを伴って降ってきた。これはなんだと誰もが思い、これは星だとまた誰もが口を揃えれば、それはスターという名を冠するほかなくなる。いくつかのおかしな点はよりいっそうの星らしさにしかならなかった。虹色に輝き浮遊する結晶であることも、空ではなく地から湧いたことも、思えば星とはそんなものかも知れないと。そう思わせるくらいにそれは星だった。本物の星よりも星な星がサンドスターだ。

 

 プリズムのように輝き浮遊する立方体。星は山々から噴出して降り注ぐ。これは今でもたまにこの島で見ることができるれっきとした事実だが、実際には存在しえない記号の星が「やあ」と 目の前に現れる日常の前に、正気を疑われるのは世界ではなく見る側のほうだとする向きも少なくない。

 きみはそうした考えのフレンズをまだ知らないはず、ということになる。何せきみはまだ生まれてもいないんだから。にもかかわらず、ここの誰より物知りでもおかしくはない。知っているだろうが、と頭につけて話せば既知の語りに。知っているかな、と優しく授ければ未知の知識ときみは受け取ってくれる。思うに、この試みは理想を現前させるわけだから、想定されたイメージそのものがきみの姿になるはずだ。そうわたしは信じている。この話がきみの耳と目に届いているという信仰をもってして、同義だが迷信にすぎないとしても、この挿話がきみの姿をかたちづくると信じている。それを胎教と言うらしいから。 

 教えたいことは山のようにあって、親が子に伝えることの殆どはとりとめがなく、脈絡を欠いたままに章立てされているのが常だ。まして初めてのことだから。伝聞ともなればなおのこと、重要な話かどうかは、後のきみが決めることだ。

 空に見える光点のほとんどは不透明な石のかたまりで反射光しか見えていないとか、太陽なんかは燃えていて形がないとも、本物の星は‐それがなぜ本物と言えるのかわたしにはわからないが‐そんなつまらないもので出来ているとハカセは言っていた。この欠片は星ではないと断言するハカセに、ではなぜスターの名がつくのかと訊けば、星とはこういうものだからと応える。みんながこれを星と見るなら星と言えるんじゃないか、と続けて訊けば、確かに偽物ではないし、かといって本物でもないとハカセは応えながら目を伏せ、いつからなのかはわからない、この欠片が星に見立てられるようになったという。全く関係がないはずの二つに繋がりができてしまったことはわたしたちの欠陥であり、寝て起きれば覚める夢だと声を絞り出して、憐れむような目をこちらに向けた。この例え話はもう終わりだと続けて、わたしに帰るようジョシュが促す。そうしてハカセはわたしの試みと真っ向から対立することになる一言を発してみせた。「だから、おまえの考えは間違っているのです」と。

 対して、大昔の娯楽を調べているタイリクオオカミなんかはこの欠片のことを、小説よりも現実は奇なり、その証拠に他ならないと言っていた。曰く、パークが造られるより昔の大昔から見れば、今の世界はひどくおかしなものに見えるはずだと。こんな欠片に名前を付けるようになってから変わってしまったんじゃないかなと握りこぶし大の結晶を顔の前に掲げて眩しそうに眼を細めた。見たことはないがと一呼吸置いて、パークを囲っている枠線とやらがあるとすれば、この欠片のようにしれっとあるんだと思うが、きっとそいつは薄く伸びきってしまっているんだ。反対側のコマに納まっていた虚構との界面は無くなって、そうして空想と現実、どちらが虚構かはわたしたち当人にもわからなくなってしまっているのさ。だからどちらを選ぼうとも君の自由だと。彼女はそう話してくれた。

 タイリクオオカミの与太話を真に受けて、ひとつの持論を信じることになり、この試みを実行することにし、ハカセに否定されて尚、きみへの胎教は始まっている。ここにはわたしの声だけがある。だからきみには耳があり、届いた声を頭で考え自分の姿を夢に想っている。だからその耳と頭がそこにあることは、この声をきみが現に聞いていることが保証している、はず。きみは実在するし、わたしの理屈と競合する言葉はここにはない。

 とても静かだろう。誰もこの部屋に入れないようにしてから長いこと経ったからな。きみを足元に抱えてずっとこうしている。その長さはどのくらいか、これまではまだ序章と言える、そしてこれからさらに長くだ。じっとすることが何かを産むことに必要だったような気がするんだ。わたしにはないが、そうした記憶があると、頭の声が言うからね。覚えてないから経験はないはずだけど、いつかのために頭のどこかが覚えてくれていたんだろう。けれども、産むということが何なのか、みんなは知らなかった。いつか誰もが誰かを産むらしいと頭が言ってくる。そうわたしが説明しても誰にもわかってもらえなかった。生むか産むだか、それを誰もが知らない。産むようにできていれば生むことができるのは確かだと思ったが、それは何かがわからない。恐らく頭の声が嘘をついていると疑い、確かに頭の話はぼんやりと細部を欠いていることに気付く。わたしは産むが何か知らなかったんだ。知らないし覚えられないことは嘘にさえならずに現実にはなり得ない。産むことができないとわかって後、わたしは子を生むことに決めた。頭の声と手を組んで、記憶にはない道具を準備し手順を組む間、体は幸福に満たされ、満たされ続けている。

 だからこれはとても自然なことで、順調に「生む」を進めているはずなんだ。そうだとわたしが決めれば、そうだときみは応えてくれる。産まれてさえくれると信じている。知っているだろうが、子ならば産まれなければ子ではなく、生まれる子には子になってほしく、きっと私によく似た姿になるはずだ。頭の中の声を文字に、そうなる理屈をわたしが考え添えて言葉に変えながら発していく。

 声が響く先、ずっと向こうに輝く膜が天の頭から地の端までを覆うのが見えている。情景を目にしていることを意識し、きみは自分に目があることを初めて知る。天と地があり、きみの頭上が輝く天蓋で覆われていることを、今わたしの言葉が決めた。遥か高くで輝く殻を不思議そうに眺めながら、今までも天蓋はずっとそこにあったことにも気付き、一瞬、鳥肌が立つ。きみにはその輝く殻が何かまだわからない。細部は掴めず、ぼんやりとした役割だけをここで投げかけ設定する。声が響けば何層もの膜でできた殻の一部が引き裂かれる。言葉は黒い塊になった後に整列を。行間に空白を挟みながら一文字づつ天蓋から降ってくる、という大枠のルールだけをきみは感じとる。

 何しろわたしにもよくわからない代物で、説明することは難しい。何かはわからないが、どう働くかはわかっている。あらゆる物事への理解はそれで充分だったりする。全てがわたしの意思で決められるわけはなく、わたしの言葉がきみの全てだが、この天蓋だけが例外だったりする。制御できているかも不明のまま、輝きは日に日に増していくのだが、それがこの試みにとって、成功の予兆であるとは決めかねる。輝きを強く放つのはきみの側が活性化している兆しであると受け取るのは楽観的に過ぎ、サンドスターに対しては誰もが仮説しか持ちえない。

 仮説をそのまま定説として採用してしまう手合いにはそいつ自体の好みなんてものがあるはずもなく、どんな出鱈目でも罷り通る。動物の言葉を物言わぬ無機物が掬い上げるという仮説をきみには信じてほしい。このパークがあることそれ自体が実例だから、否定はできない、はずだ。みんなの頭の声がそれぞれに勝手な仮説を囁き蠢くこのパークで、体が声を発すれば、音になり積もった文字は集合と離散を繰り返す。枝分かれの末にどこかの上で統合された後にどうにかみんなに共有される。どこかの段階ではかろうじて実在していた声も、妄想の声に埋もれ枝葉の中に隠れてしまっている。誰の声だか個人を特定する声色や調子は長い噂話の末に聞き取れないほど擦り切れて、元の持ち主順に並べ直す気が起きるはずもなく、虹色の夢想もいよいよ重なり過ぎれば透かして見ても灰色に。かくして一層に収まった誰のものとも言えぬ声に常時晒されているにも関わらず、欠片の側から苦情が来たことは未だない。みんなが自由に生きているのも、きみの寛大さがあってこそだと思う。優しさや希望というものは、星のカタチをしているものだからな、とわたしは素朴なとこに思い至る。スターの輝きには何を見出してもいい。

 星だから星のカタチをしている、という当たり前にすぎて説話とも言えない仮説を、わたしは否定したくない。星として産まれたから星なのであり、その星性をみんなの頭が保証している、今のところは。確固とした土台のない上に立っている危うさがこの説にはあり、考えても前に進めない不具合があり、そのあやふやな言葉の並びの中、わたしは付け入る隙を見た。ある日急に、星たる所以であるところの星性が一斉に虹色から黄色へ、立方体から五本のトゲを持つ十角形にみんなの頭の声が切り替わるかも知れず、それでもこの欠片としては黙って消える訳にもいかない。はじめからそうであったかのように、鉱物は尾を引く思念を見せずに、後腐れなく、黄色で五本のトゲを持つ十角形へと姿を転じて山から湧き出すだろう。そうしてやはり星であるなと見なされて、危うい証明をすり抜ける。何度も何度もそうしてパスを潜り抜けてきた欠片たち、その元の姿は産んだ親にもわからないだろう。何者にも親が先にいて、子は後にと決まっているが、星はいつから星なのか、星の親が星ならば、最初の星はどこから来たのか。考え始めれば結論が出ない話だ。今や始原のカタチは頭の中のどこにも無く、誰にも思い出せなくなっている。思い出せないことにきみは気付く。スターの意味が漂白されたむこう側、ぽっかり空いた意味の空洞へと、子を為す一心からわたしは法螺を吹き込む。

 最初のスターはコウテイペンギンだった。法螺を仮説として諳んじ、欠片が仮説を定説まで存在の強度を上げるだろう。みんなが共有する像ではなく、わたし個人の見解を、無音の中で、一欠片のサンドスターに吹き込んでいく。誰にも邪魔されず、限界まで理論を固めた妄想で何かをつくりだすこと。子を為せぬわたしがサンドスターを使って同族を作ることは、出産というよりも、どうしても実験や試みと言う他なくなる。

 この試みは殻を界面とした交信媒介にサンドスターの薄欠片が使われている。そちら側にきみが一人、こちら側にはわたしが一人いて、サンドスターの外郭を境にして語り手が外側に、聞き手が欠片の内側に分かれていると思ってほしい。こちらの側では足元に収まる界面だが、そちらがどうなっているかまでは決めかねるところだ。精々、天を覆う巨大な殻という夢想しか用意できなかったが、卵の中にも天地はあるんじゃないかな。卵とは球体であり、球体のどちらが上か下かを決めることはできず、殻はぐるりと一周を回っている格好になり、きみはわたしの夢想に囚われているとも言える。他の声が届くことはない。

 防音室にはわたしの声だけ良く響いている。諳んじて朗々と、歌とは違うが、声とはそもそも歌であり、スピーカの出力する歌が入力先のファンをつくる構図を思い浮かべてみる。その連想は少し前提が違っていて、歌がファンをつくるのは確かだが、発声に先んじてファンがいるという解釈がここでは正しい。声帯を鳴らすと決めた時点でファンがいたことになる理屈。これは何かが逆転された成り立ちだが、きみがステージで歌えばその少し前の時間にたくさんのファンが湧き出る光景が広がる。きみの歌の受け取り不在は想定の破綻を意味し、この試み自体が存在しない妄言となり下がるところだが、サンドスターは非実在を許さない。故に聞き手の不在はありえず、欠片が輝く島のなか、誰も気付かないままに因果は混線しており、そんな無理を苦も無く通して見せるのがスターだ。スターはスターだからスターである、としか言えない。証明して見せるのはわたしではなくきみの役割だが、前提からして結果は不可能を指しているのは自明だ。ペンギンの子はペンギンでしかない。疑似的な出産であっても道理は覆せない。

 それでもと、不可能を可能にしてしまう歌の存在をきみは既に信じている。夢想や妄想、希望の類、そんな存在しえないものを片っ端から否定し、転じてあらゆる可能性が現にありうることを肯定する離れ業。スターの本質は業に似て、決してひとつのカタチではない。危うい土台の上で、それでも実在すべしと歌を放つ時、それは無限の許容力として現れる。わたしが歌うたびに、きみの光が強くなる。目に見えるカタチは不定形な光の塊。逆光の向こう側、きみが何者なのかをわたしには決めることが出来ないことにようやく気付く。いよいよもって、足元は輝きで満ち始める。この輝きとスターの本質、全く関係のない両者を頭の中で結び付け、この子がコウテイペンギンのカタチをとるかはまだ不確定だが、それも可能性の一つとしておき、ならばすでにこの子の成功が為されているという確信をもってして親心に足り、わたしは長く続いた試みをここに閉じる。

 

 今わたしの耳を覆っている何かは、集音した音を流す仕組みをしている。これは、誰の声も聞き届けるためのカタチ。誰ものスターであるために。

 あるいはこう、存在しえない母の声が永遠と流れてくるカタチである可能性、回路の向こうには、呪いじみて同じ言葉を繰り返す、目には見えない小人が住みつき離れない。

 そうではなく、懐かしい声の源を、ヘッドフォンから感じとり、ライブの直前、そっと頭から外すと、慣例通りに髪をイワビーが撫でとかしてくれる。ようするに、流した前髪を固定するこれは、カチューシャと言えば早いし、それがなぜって向きには、かわいいからだ、と赤面しながら答えよう。そのくらいにわたしの体は、単純な由来で出来ているんだと思い直し、背筋を伸ばす。隣のロイヤルと目くばせをし、鼓動が高鳴る胸を押さえ、固く握られた手はジェーンに解かれた。緊張に震える手と手を握りあう。スターで出来たわたし達はスターであることから逃げられない。どの種とも違う意味合いをスターに求め、誰より自覚的なわたし達は、どうあれ歌う以外の生き方はきっとできない。お客さんの理想を体現して見せる使命のような生き方を、一体誰が決めたのか、ライブの前によぎるのは、ヒトの存在だったりする。何か大事な記憶が戻りそうな、そんな予感、ヘッドフォンの奥に一瞬ノイズが走って頭に響くが、そいつは声になる前に、フルルのあくびに掻き消された。閉口してすぐ笑顔が溢れ、マーゲイのアナウンスと同時に目の前の膜へと眩しいライトが照射される。すぐに表情が変わったのを感じ、スターであることを忘れていない自分に安心感を覚えてほっとするのも束の間に、強い逆光を浴びて体の細部は抜け落ち晒されている。

 シルエットになったわたしは手を腰に当て、上体を僅かに反らせて、最後にくっと顎を引くことで覚悟を決める。ポージングで感覚を切り替える、そういう習慣。息を吐いて、目を閉じて、集中し、耳を澄ませる。頭につけた殻の向こう側からは、無論なにも聞こえてこない。わたしだけの静寂は次第に歓声と溶け合い、祝祭のうねりが波になって体へ届く。膜は上がり、輝きの向こう側へと歩き出す。